2005.10.29 ブッダの人と思想 26
2005年 10月 29日
今回は、縁起の観想であります。かなり難解なものでございます。前回までの、成道へのいきさつでの内心の大爆発の後のことであります。
著者曰く、「ブッダもはじめはこの爆発で何が起こったのか一瞬わからなかったのでありましょう。そのうち、じっとその体験を反芻しているうちに全ての道理が明らかになってきました。そのいきさつを原始仏典の、ウダーナで見てみましょう。」と・・・・
あるとき世尊は、ウルヴェーラー村、ネーランジャラー河の岸辺に、菩提樹のもとにおられた。初めて悟りを開いておられたのである。
そのとき世尊は、七日のあいだずっと足を組んだままで、解脱の楽しみを享けつつ、座しておられた。ときに世尊は、その七日が過ぎて後にその瞑想から出て、その夜の最所の部分において、縁起を順の順序に従ってよく考えられた。
「これがあるときにこれがある。これが生起するからこれが生起する。すなわち、無明によって生活作用があり、生活作用によって識別作用があり、識別作用によって名称の形態があり、名称と形態とによって六っの感受機能があり、六っの感受機能によって対象との接触があり、対象との接触にによって感受作用があり、感受作用によって妄執があり、妄執によって執着があり、執着によって生存があり、生存によって出生があり、出生によって老いと死、憂い・悲しみ・苦しみ・愁い・悩みが生ずる。このようにしてこの苦しみのわだかまりが全て生起する。」
この文章を読むにつれ、小生の頭は、ますます混乱のきわみに達しております。
著者曰く「これが、十二因縁の道理」とのことでありまして、悟りの体験を反芻するブッダの心に明確に形作られた道理、とのことであります。
漢訳では、「無明」-「行」-「識」-「名色」-「六入」-「触」-「受」-「愛」-「取」-「有」-「生」-「老死」であると、著者は書き下しております。
ブッダが瞑想して、人間存在の基本を洞察した方式とのことであります。
今回は、難しいですな~
著者曰く、「ブッダもはじめはこの爆発で何が起こったのか一瞬わからなかったのでありましょう。そのうち、じっとその体験を反芻しているうちに全ての道理が明らかになってきました。そのいきさつを原始仏典の、ウダーナで見てみましょう。」と・・・・
あるとき世尊は、ウルヴェーラー村、ネーランジャラー河の岸辺に、菩提樹のもとにおられた。初めて悟りを開いておられたのである。
そのとき世尊は、七日のあいだずっと足を組んだままで、解脱の楽しみを享けつつ、座しておられた。ときに世尊は、その七日が過ぎて後にその瞑想から出て、その夜の最所の部分において、縁起を順の順序に従ってよく考えられた。
「これがあるときにこれがある。これが生起するからこれが生起する。すなわち、無明によって生活作用があり、生活作用によって識別作用があり、識別作用によって名称の形態があり、名称と形態とによって六っの感受機能があり、六っの感受機能によって対象との接触があり、対象との接触にによって感受作用があり、感受作用によって妄執があり、妄執によって執着があり、執着によって生存があり、生存によって出生があり、出生によって老いと死、憂い・悲しみ・苦しみ・愁い・悩みが生ずる。このようにしてこの苦しみのわだかまりが全て生起する。」
この文章を読むにつれ、小生の頭は、ますます混乱のきわみに達しております。
著者曰く「これが、十二因縁の道理」とのことでありまして、悟りの体験を反芻するブッダの心に明確に形作られた道理、とのことであります。
漢訳では、「無明」-「行」-「識」-「名色」-「六入」-「触」-「受」-「愛」-「取」-「有」-「生」-「老死」であると、著者は書き下しております。
ブッダが瞑想して、人間存在の基本を洞察した方式とのことであります。
今回は、難しいですな~
by sinsama2
| 2005-10-29 19:01
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