2010.11.1 大いなる補佐役
2010年 11月 01日
世の中には、補佐役に徹して名を残された歴史上の人物は少ないながらもございます。
小生、戦国物の歴史小説を数多く読んでおまして・・・
まず、第一人者は、豊臣秀吉の実弟であります、大和大納言、豊臣秀長さんだと思っております。
一番好きな武将でございまして、徳川家康ぐらい長生きしていたとすれば、豊臣政権が続いていたものと思われます。
第二番手が、上杉景勝の宿老、直江兼続でっしゃろなぁ~
有名にお方であります。
そして・・・
最近、読みました本にて、明智光秀の第一の右腕であります、明智秀満さんでは・・
なんて、思ったりしております。
彼は、明智光秀の従兄だとも言われておりまして、美濃国明智城が落城した際に、光秀と秀満は城から落ち延び、それぞれ、浪々の日々を過ごすことになるのでありますが、光秀が織田信長に仕える前あたりから、光秀の片腕として活躍を始めております。光秀が、信長に仕えるようになってからは、主君の光秀よりも信長から信頼されていたとも伝えられているとか。
残念ながら、本能寺の変の後、山崎の合戦時には、安土城の守備に回っておりまして、琵琶湖の「湖水渡り」を行い、近江坂本城に戻って明智一党の最後を飾ったとして名を馳せた“智勇兼備の将”でございます。
補佐役の仕事はかなり難しいものなのでありますなぁ~
(^。^)y-.。o○
小生、戦国物の歴史小説を数多く読んでおまして・・・
まず、第一人者は、豊臣秀吉の実弟であります、大和大納言、豊臣秀長さんだと思っております。
一番好きな武将でございまして、徳川家康ぐらい長生きしていたとすれば、豊臣政権が続いていたものと思われます。
第二番手が、上杉景勝の宿老、直江兼続でっしゃろなぁ~
有名にお方であります。
そして・・・
最近、読みました本にて、明智光秀の第一の右腕であります、明智秀満さんでは・・
なんて、思ったりしております。
彼は、明智光秀の従兄だとも言われておりまして、美濃国明智城が落城した際に、光秀と秀満は城から落ち延び、それぞれ、浪々の日々を過ごすことになるのでありますが、光秀が織田信長に仕える前あたりから、光秀の片腕として活躍を始めております。光秀が、信長に仕えるようになってからは、主君の光秀よりも信長から信頼されていたとも伝えられているとか。
残念ながら、本能寺の変の後、山崎の合戦時には、安土城の守備に回っておりまして、琵琶湖の「湖水渡り」を行い、近江坂本城に戻って明智一党の最後を飾ったとして名を馳せた“智勇兼備の将”でございます。
補佐役の仕事はかなり難しいものなのでありますなぁ~
(^。^)y-.。o○
by sinsama2
| 2010-11-01 20:43
| 歴史探訪