人生今後とも楽しく生きるための糧


by sinsama2
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カテゴリ:本( 38 )

2012.2.4 水滸伝

 水滸伝と言いましても、北方謙三さん著作の、水滸伝全19刊でございまして、現在、最終巻の19を読み終えようとしている状態であります。

 宗江、林沖、楊志、晁蓋、柴進、呉用、呼延灼、史進、公孫勝、安道全・・・・・・

 数え上げたらきりがないほどの、豪傑の面々が、次々と、惜しげもなく亡くなって参ります。


 北方さんの水滸伝は、原典の水滸伝とは異なりまして、かなり多方面からの視点で描かれております。まず、闇の塩を扱い、膨大な資金源としていることが描かれており、経済面での描写がかなり描かれております。

 また、宋の国において、原典には無い、青林寺という大掛かりな諜報組織が存在し、梁山泊側の闇組織との暗闘の場面も実にハードボイルドで読みごたえがありましたなぁ~

 はっきり申し上げて、この本の虜になっておりやす。。。。

 間もなく読み切ってしまいますが、水滸伝の続編として、「楊令伝」というのも発売されております。これも、当然、読んでみるつもりでございます。

 (^。^)y-.。o○

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by sinsama2 | 2012-02-04 18:43 |

2011.5.24 宇宙はどこから ?

 最近読んでおります本で、「ここまでわかった宇宙の謎」という本の冒頭の文章で・・・

 「宇宙は無もない無から始まった」と記載されております。

 なんのこっちゃかよく理解できないのでありますが・・・・

 続けて記載されておりますことが。

 「物質やエネルギーはもちろん、時間や空間さえも存在しない、そんな「無」から宇宙は始まった。」

 などと・・・

 益々、訳のわからない記載であります。

 イメージすら湧きませんなぁ~

 でも、この考え方が、今の宇宙物理学者の間では正当な理論なのでしょうな。

 なんだか、宗教的な理論のような感じもいたします。

 
 でも、夜空の星を見ておりますと、なんだか、人間世界のことなぞ小さく感じられますなぁ~

 仕事の悩みなんぞ小さなことなのでありますが・・・・

 実際には、そこまで達観出来ない自分が存在しているのですなぁ。

 (^。^)y-.。o○
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by sinsama2 | 2011-05-24 21:20 |

2010.4.4 サーバの常識

 4月1日から、小生でありますが、会社のコンピューターシステムを統括している部署に・・・・

 なぜか、配属されてしまいましたがな。

 小生、このブログでも、以前ご紹介しましたが。。。。

 自分のパソコンのリカバリーすらまともに出来ないオッサンであります。

 4月1日に配属しまして、いきなりの電話攻勢でありました。

 人事異動の関係もあるのでっしゃろが・・・・

 「システムが見られない !」やら、「パスワードが解らない !」やら、

 「システムが思ったように動かない !」やらで・・・・

 バタバタ状態でやんした。(ーー;)

 小生なんぞ、自分で処理できるような案件なんぞ、わずかなものであります。

 隣の若い社員の方に、お願いするしかありませんでしたなぁ~

 その方も、おかげさまで、パニック状態であります。

 とほほほほ ♫


 本日、本屋さんを眺めておりましたところ、「サーバの常識」という本を思わず購入したのであります。

 この本の最初には・・・・

 「サーバの管理は、一見、地味な仕事です。しかし、サーバのトラブルは、即サービスの全停止につながることが多く、障害が発生した時には解決するまで関係者からの強いプレッシャーの中、泥臭い対応が求められます。・・・・・・サーバの管理の仕事は、すべてがうまくいって当たり前で、やっと及第点です・・・・」

 なんて記述がございました。

 そういえば、電話を受けていた時に、同じ社員なのでありますが、「お前らやって当たり前だろ!」なんていう実に偉そうな雰囲気の電話をかなり受けましたなぁ~

 先ほど少しずつ読み始めてみましたところ・・・・・

 「サーバとクライアント」 ?

 「CPU」 ?

 「システムアーキテクチャ」 ?

 などという単語が次々と記載されておりまして、その単語自体の解説すら記載されておりません。いちいち、ネットで検索しながら理解するしかありませんなぁ~

 時間がかかって仕方がありませんがなぁ~ (ーー;)

 だんだん、眠くなりそうなのであります。

 とほほほほほ ♫

 (^。^)y-.。o○

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by sinsama2 | 2010-04-04 20:28 |

2009.12.11 昭和史

 先日でありますが、会社の先輩の方から、「昭和史」という本がなかなか面白いよ。

 と教えていただきまして、購入しまして、通勤の電車の中で、読み始めております。

 出版は、平凡社でありまして、「半藤一利さん」著の分厚い文庫版上下巻なのであります。

 小生、歴史物の本は、昔から大好きでございまして、司馬遼太郎さんの著作はほとんど読んでおります。

 昭和史関係は、太平洋戦争関係の本を少々読んだきりでありまして、かなり手薄な時代なのであります。

 自分が昭和の時代の人間でありまして、ここで、じっくりと読んでみるのも良いものだにゃ。

 なんて、思ったりもしております。

 この本でありますが、活字が少々小さくて、老眼が進んでおります小生には、ちと、辛い面もございますが。

 文体が、話し言葉の調子でありまして、実に判り易く解説してございます。

 現在、前半の、昭和ひとけた時代の部分を読んでおりまして、「昭和史の根底には、赤い夕陽の満州があった」とか、満州事変の発端であり、当時の陸軍の陰謀である「張作霖」爆殺事件。

 その事件に対して大いに怒った昭和天皇陛下が、当時の首相を辞めさせ、それを苦にした首相が自殺した?結果、憂いを感じられた陛下はその後、内閣が決定する案件については、ご自身が反対の意見を持っていても、裁可されるようになったとか。

 などというお話が、非常に判り易く解説されております。

 この本、全て読み終えるのには、かなりの時間がかかりそうなのでありますが、通勤時間の楽しみにもなっております。

 (^。^)y-.。o○

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by sinsama2 | 2009-12-11 22:47 |
 ブッダシリーズを放り出しておいて、3ヶ月が過ぎてしまいました。たはは♪であります。

 前回は確か、中道について、ということでありました。今回は、中道に次いで説かれたと言われております、四つの真理(四聖諦)でありまして、この説法は、ブッダの説かれた最も重要と言われております説法であり、煩悩、渇愛を根底とした、苦の人間観と縁起の道理を一体化した根本教理と著されております。

 以下のとおりの説法がなされております。

 修行僧らよ、真理の体現者の悟った中道とは・・・・・・それは実に、聖なる八支よりなる道、である。すなわち、正しい見解、正しい思惟、正しい言葉、正しい行い、正しい生活、正しい努力、正しい念い、正しい瞑想である。・・・・・
 実に、苦しみ、という聖なる真理は次のごとくである。生まれも苦しみであり、老いも苦しみであり、病いも苦しみであり、死も苦しみであり、・・・・・・。
 実に、苦しみの生起の原因、という聖なる真理は次の如くである。それはすなわち、再生をもたらし、喜びと貪りを伴い、ここかしこに歓喜を求めるこの妄執である。・・・・・
 実に、苦しみの死滅、という聖なる真理は次の如くである。それはすなはち、その妄執の完全に離れ去った止滅であり、・・・・・・・
 実に、苦しみの止滅に至る道、という聖なる真理は次の如くである。これは、実に、聖なる八支よりなる道である。すなはち、正しい見解、正しい思惟、正しい言葉、正しい行い、正しい生活、正しい努力、正しい念い、正しい瞑想である。(サンユッタ・ニカーヤ)


 著者曰く「いわゆる、苦・集・滅・道であります。この説法は、実に巧みに構成されております。まず、第一命題が苦しみ「苦諦」であります。第二命題は苦しみの原因「集諦」であります。なせぜ、苦しみが起きるかといえば、それは妄執があるからだというのです。しからば、苦しみを除くのはどうしたらよいか、それは妄執を滅すればよいことになります。これが、第三命題の「滅諦」になるのです。そして、妄執を滅し、苦を消滅するための実践、これが「道諦」になります。

 しかしであります。このように簡単に記載しているのでありますが、実際に実生活での実践になりますと、この言葉だけでは、さっぱりでありますがな。

 次回は、この続きを具体的に記載していきたいと思います。

 いつのことやらですなぁ~^^

 (^_^)v
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by sinsama2 | 2007-06-25 19:44 |
 久しぶりのブッダシリーズであります。半年ぶりでしょうか。NHKブックスの「ブッダの人と思想」からであります。

 今回は、ブッダは最初に何を説いたか?ということについて記載してまいります。このことについては、原始仏典の中には、さまざまなことを説かれています。

 著者曰く「一般には、「中道」であるとか、「八正道」であるとか、「四つの真理」であるとかいわれています。これらは後世すっきりとまとめられた理法であって、当初からこのように体系的に説かれたとは、考えられません。・・・・・・・・・・・・・・・・一方的に説いたというより、当然対話であったわけで、おそらく五人の修行者はブッダに疑問を投げかけ、ブッダは答え、そして説得したにちがいありません。」と、記載されております。

 初期仏典であります「サンユッタニカーヤ」には、後世の編集という前置きでありますが、以下のとおり、かなり参考となることがらが、記載されているようであります。

 修行者らよ。出家者が実践してはならない二つの極端がある。・・・・一つは、もろもろの欲望において欲楽に耽ることであって、下劣・野卑で凡愚の行いであり、高尚ならず、ためにならぬものである。他の一つは、自ら苦しめることであって、苦しみであり、高尚ならず、ためにならぬものである。真理の体現者は、この両極端に近づかないで、中道を悟ったのである。

 一つは、苦楽中道を説いております。このことは、ブツダ自身が、出家する前には、王侯の身分である高貴な一族の体験から、むなしさを体験したことによる、とされております。
 また、もう一つは、肉体を痛めつける修行のことであります。これも、ブッダは、一通り実践したうえで、結局のところ成仏できなかった体験から説いているのであります。

 小生、一瞬、「なーるほど」と思うのでありますが、なんだか、難しいものだと感じております。そこで、著者は以下のとおり述べております。

 「執着を離れて生きることが中道の実践であり、足して二で割ることが中道ではありません。その場、その場の最も相応しいものになって生きること、これが中道であります。」と・・・・・

 「その場、その場の最も相応しいものになって生きること」・・・・・これを実践すること自体、かなり小生のような凡人には、困難な事なのであります。

 このブッダシリーズ、まだまだ、数年続きそうであります。
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by sinsama2 | 2007-03-03 17:52 |
 久しぶりの読書感想文であります。「サザンクロスを脊に受けて」という題名の本でありまして、著者の方の戦争体験を基にした随想であります。サザンクロスとは、日本では全くおめにかかれない、南十字星のことです。

 題名・・・サザンクロスを脊に受けて
 著者・・・山 下 晴 朗
 出版・・・中日新聞社、2000年8月

 今は、硫黄島の映画が脚光を浴びておりますが、この本の著者の方は、全く日の目を見なかった、ルソン島における、戦争体験を世に知らしめようとして、書かれたとされております。

 著者の山下さんは、わずか15歳の若年で、陸軍航空団通信隊の軍属としてフィリッピンのルソン島に渡ることになりました。現在の15歳といえば、中学生であります。

 渡航された時は、航空機で渡航されました。それも、圧倒的な米軍の制空権のある中、呑龍という重爆と元旅客機で戦闘機の援護無しに渡りました。よく、無事にフィリッピンまで渡れたものであります。

 そして、当初は30人いた同僚達が、本土復帰できたのは、わずか3人だったようです。それも、ほとんどの同僚が行軍中の食料不足によるマラリア等の病気で倒れてしまいます。南十字星を脊に受けての困難極まる行軍でありました。

 航空団の上級将校たちは、戦況不利と悟ってからは、台湾へ少年達を置いてきぼりにして、逃げてしまいます。最低な将校たちであります。さらに、置いてきぼりをした、少年兵達の記録を後に、全て抹殺してしまうのであります。

 それにしても、山下さん、よく頑張られたと思います。また、よくぞこの本を著はされたものであります。資料が抹殺されたのにかかわらずです。

 敬意を表するものであります。

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 本日の万歩計・・・15,804歩
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by sinsama2 | 2007-01-18 21:43 |
 前回は、梵天の進めにより、ブッダ自身の悟りを得たことにより、万人に教えを説くか否か迷うところで終わっております。いわゆる、これが「梵天勧請」と言われているものであります。

 この結果、ブッダは教えを説くことに決心したのでありますが、誰から説くかということをまず考えます。行き着いた結果は、過去にブッダが一緒に修行を共にした、五人の修行者に説くことにしたのであります。

 ここで、著書を引用します。
 
 ブッダの向かった場所はベナレス郊外にある仙人の住む鹿の園でありました。今日サールナートと呼ばれ、仏教の四大聖地の一つであるのみならず、ヒンドゥー教など他の宗教者たちの聖地ともなっています。現在、ブッダが悟りを開いたブッダガヤーからおよそ240kmほど、急行列車で4、5時間の距離であります。サールナートはベナレスから8kmのところにありますが、「仙人の住む場所」と古来言われるように、当時から宗教家や思想家の集まる場所でありました。・・・・・・・ここが、ブッダの初めての説法の地であり、五人の修行者がブッダの教えを受け取って仏教の教団が成立した場所であります。

 初期仏典の「マッジマ・ニカーヤ」には、その様子を以下のとおり記載しております。

 さて私は順次に遊歩して、ベナレス・仙人の住処・鹿の園なるところに、五人の修行者の群れのいるところに赴いた。五人の修行者の群れは遙かに私が来るのを見た。見て相互に約束して言った、「きみよ、道の人ゴーダマがあそこにやってくる。贅沢で、勤め励むのを捨て、豪奢におもむいた。彼に挨拶すべきではない。起って迎えてはならない。彼の衣鉢を受けてはならない。しかし、坐を設けてやらねばなるまい。もし彼が欲するならば、座し得るように」と。
 ところが私が近づくにつれて、五人の修行者の群れは、自分らの約束で制することができなかった。ある者どもは私を出迎えて衣鉢を受け取った。またある者どもは坐を設けた。またある者は洗足の水を用意した。


 不思議なものであります。かつて、苦行を共にした五人の修行者は、苦行を捨てたブッダに失望してブッダの元を去ったと言われているのであります。そして、ブッダがやって来ることを聞いたとたん、仲間同士でとりあえず話しを聞くがブッダの言うことは聴かないように、と約束をするのでありますが、いざその場になりますと、先ほどの約束はどこやらに行ってしまい、ブッダの世話をするのであります。

 著者曰く「これは、正覚者としてのブツダにそなわった威厳と、釈迦族の高貴な血筋によるものではないでしょうか。しかし、ブッダの世話をしながらも、苦行を捨て、豪奢におもむいたにもかかわらず、どうして特別な知見に達することができましょうや。と問いかけています。ブッダは力強く法(ダンマ)が体得されたことを説得していきます。」

 初期仏典「マッジマ・ニカーヤ」には、その様子が以下のとおり記載されています。

 修行者らよ。・・・・・・・如来は尊敬されるべき人、正覚者である。修行者ども、耳を傾けよ。不死が得られた。私は教えるであろう。わたくしは法(ダンマ)を説くであろう。汝らは教えられたとおりに行うならば、久しからずして、良家の子らが正しく家から出て出家者となった目的である無上の清浄行の究極を、この世においてみずから知り、証し、会得するに至るであろう。

 いったい、何を説いたのかは、次回といたします。
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by sinsama2 | 2006-09-17 12:47 |
 このブツダシリーズでありますが、昨年の10月以来全く遠ざかっておりました。再開いたします。どこやらの、誰かさんは、6年かかるぞ~ なんて指摘しておりますが、まあ、6年かかってもよろしいではあ~りませんか。

 NHKブックスのこの本は、「中村元」元東京大学名誉教授(文学博士・インド哲学)が、NHKの番組の中でお話しした内容を、「田辺祥二」さんが書き下ろした本でありまして、原始仏教であるブッダの根本的思想を説いております。今の宗教団体では、なかなかこのような根本的なことまで、説いてくれることはまずありません。特に、新興宗教団体では、人集め、金集めにやっきになっておりまして、人が生きるうえでの根本的思想なんぞ教えてくれることはありません。

 今回は「梵天勧請」をテーマといたします。ブッダは、悟りを得てから後に、その感動が静まってまいります。そして、自分が悟った真理について深い内省に入ります。
 悟りの内容は、世間の人には難解で理解することはかなりの困難である、という思いであります。一般の人々の所有欲、自分が自分がという我執を真っ向から否定することが、ブツダの価値観でありました。世間の常識とあまりにもかけ離れていることに気づき、一人解脱者として沈黙してゆこうか、何としても法を説こうか迷います。

 そこで、梵天(ブラフマン・インドの思想で万有の根源を神格化したもの)が、ブッダに伝道を進めるのであります。
 「ああ、この世は滅びる。ああ、この世は破滅する。じつに修行を完成した人・尊敬されるべき人・正しく悟った人の心が、何もしたくないという気持ちに傾いて、説法しようとは思われないのだ!」・・・・・・・・・
 「尊い方!尊師は教え(真理)をお説きください。幸ある人は教えをお説きください。この世には生まれつき汚れの少ない人々がおります。かれらは教えを聞かなければ退歩しますが、聞けば真理を悟る者となりましょう」と・・・・・

 著者曰く「仏道は日常の中に生かされ、万人に実践されてこそ完結する。このことにブッダは気がついたのでしょう。・・・・・インド古来の哲人たちの教授法は、師と弟子の狭い範囲のものでした。ところが、ブッダの教法は、日月の光が万物を照らすように、万人に向かって説きだされました。当時のインド社会にとっては未曾有のことであつたと言わなければなりません。」

 小生、思うのであります。今の宗教団体は、万人に光りを照らすように、人々の心を導いているのでしょうか?否であります。旧来の仏教寺院は、葬式仏教に成り下がっております。また、新興宗教は、金集め、人集めに奔走しております。それを、ブツダ又は宗教団体の最高幹部の教えとしての実践として教えこんでおります。
 何か変ですな~
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by sinsama2 | 2006-08-27 00:05 |
 今回は、縁起の観想であります。かなり難解なものでございます。前回までの、成道へのいきさつでの内心の大爆発の後のことであります。

 著者曰く、「ブッダもはじめはこの爆発で何が起こったのか一瞬わからなかったのでありましょう。そのうち、じっとその体験を反芻しているうちに全ての道理が明らかになってきました。そのいきさつを原始仏典の、ウダーナで見てみましょう。」と・・・・

 あるとき世尊は、ウルヴェーラー村、ネーランジャラー河の岸辺に、菩提樹のもとにおられた。初めて悟りを開いておられたのである。
 そのとき世尊は、七日のあいだずっと足を組んだままで、解脱の楽しみを享けつつ、座しておられた。ときに世尊は、その七日が過ぎて後にその瞑想から出て、その夜の最所の部分において、縁起を順の順序に従ってよく考えられた。
 「これがあるときにこれがある。これが生起するからこれが生起する。すなわち、無明によって生活作用があり、生活作用によって識別作用があり、識別作用によって名称の形態があり、名称と形態とによって六っの感受機能があり、六っの感受機能によって対象との接触があり、対象との接触にによって感受作用があり、感受作用によって妄執があり、妄執によって執着があり、執着によって生存があり、生存によって出生があり、出生によって老いと死、憂い・悲しみ・苦しみ・愁い・悩みが生ずる。このようにしてこの苦しみのわだかまりが全て生起する。」
 この文章を読むにつれ、小生の頭は、ますます混乱のきわみに達しております。

 著者曰く「これが、十二因縁の道理」とのことでありまして、悟りの体験を反芻するブッダの心に明確に形作られた道理、とのことであります。

 漢訳では、「無明」-「行」-「識」-「名色」-「六入」-「触」-「受」-「愛」-「取」-「有」-「生」-「老死」であると、著者は書き下しております。

 ブッダが瞑想して、人間存在の基本を洞察した方式とのことであります。

 今回は、難しいですな~
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by sinsama2 | 2005-10-29 19:01 |