2006.9.17 ブッダの人と思想 28
2006年 09月 17日
前回は、梵天の進めにより、ブッダ自身の悟りを得たことにより、万人に教えを説くか否か迷うところで終わっております。いわゆる、これが「梵天勧請」と言われているものであります。
この結果、ブッダは教えを説くことに決心したのでありますが、誰から説くかということをまず考えます。行き着いた結果は、過去にブッダが一緒に修行を共にした、五人の修行者に説くことにしたのであります。
ここで、著書を引用します。
ブッダの向かった場所はベナレス郊外にある仙人の住む鹿の園でありました。今日サールナートと呼ばれ、仏教の四大聖地の一つであるのみならず、ヒンドゥー教など他の宗教者たちの聖地ともなっています。現在、ブッダが悟りを開いたブッダガヤーからおよそ240kmほど、急行列車で4、5時間の距離であります。サールナートはベナレスから8kmのところにありますが、「仙人の住む場所」と古来言われるように、当時から宗教家や思想家の集まる場所でありました。・・・・・・・ここが、ブッダの初めての説法の地であり、五人の修行者がブッダの教えを受け取って仏教の教団が成立した場所であります。
初期仏典の「マッジマ・ニカーヤ」には、その様子を以下のとおり記載しております。
さて私は順次に遊歩して、ベナレス・仙人の住処・鹿の園なるところに、五人の修行者の群れのいるところに赴いた。五人の修行者の群れは遙かに私が来るのを見た。見て相互に約束して言った、「きみよ、道の人ゴーダマがあそこにやってくる。贅沢で、勤め励むのを捨て、豪奢におもむいた。彼に挨拶すべきではない。起って迎えてはならない。彼の衣鉢を受けてはならない。しかし、坐を設けてやらねばなるまい。もし彼が欲するならば、座し得るように」と。
ところが私が近づくにつれて、五人の修行者の群れは、自分らの約束で制することができなかった。ある者どもは私を出迎えて衣鉢を受け取った。またある者どもは坐を設けた。またある者は洗足の水を用意した。
不思議なものであります。かつて、苦行を共にした五人の修行者は、苦行を捨てたブッダに失望してブッダの元を去ったと言われているのであります。そして、ブッダがやって来ることを聞いたとたん、仲間同士でとりあえず話しを聞くがブッダの言うことは聴かないように、と約束をするのでありますが、いざその場になりますと、先ほどの約束はどこやらに行ってしまい、ブッダの世話をするのであります。
著者曰く「これは、正覚者としてのブツダにそなわった威厳と、釈迦族の高貴な血筋によるものではないでしょうか。しかし、ブッダの世話をしながらも、苦行を捨て、豪奢におもむいたにもかかわらず、どうして特別な知見に達することができましょうや。と問いかけています。ブッダは力強く法(ダンマ)が体得されたことを説得していきます。」
初期仏典「マッジマ・ニカーヤ」には、その様子が以下のとおり記載されています。
修行者らよ。・・・・・・・如来は尊敬されるべき人、正覚者である。修行者ども、耳を傾けよ。不死が得られた。私は教えるであろう。わたくしは法(ダンマ)を説くであろう。汝らは教えられたとおりに行うならば、久しからずして、良家の子らが正しく家から出て出家者となった目的である無上の清浄行の究極を、この世においてみずから知り、証し、会得するに至るであろう。
いったい、何を説いたのかは、次回といたします。
この結果、ブッダは教えを説くことに決心したのでありますが、誰から説くかということをまず考えます。行き着いた結果は、過去にブッダが一緒に修行を共にした、五人の修行者に説くことにしたのであります。
ここで、著書を引用します。
ブッダの向かった場所はベナレス郊外にある仙人の住む鹿の園でありました。今日サールナートと呼ばれ、仏教の四大聖地の一つであるのみならず、ヒンドゥー教など他の宗教者たちの聖地ともなっています。現在、ブッダが悟りを開いたブッダガヤーからおよそ240kmほど、急行列車で4、5時間の距離であります。サールナートはベナレスから8kmのところにありますが、「仙人の住む場所」と古来言われるように、当時から宗教家や思想家の集まる場所でありました。・・・・・・・ここが、ブッダの初めての説法の地であり、五人の修行者がブッダの教えを受け取って仏教の教団が成立した場所であります。
初期仏典の「マッジマ・ニカーヤ」には、その様子を以下のとおり記載しております。
さて私は順次に遊歩して、ベナレス・仙人の住処・鹿の園なるところに、五人の修行者の群れのいるところに赴いた。五人の修行者の群れは遙かに私が来るのを見た。見て相互に約束して言った、「きみよ、道の人ゴーダマがあそこにやってくる。贅沢で、勤め励むのを捨て、豪奢におもむいた。彼に挨拶すべきではない。起って迎えてはならない。彼の衣鉢を受けてはならない。しかし、坐を設けてやらねばなるまい。もし彼が欲するならば、座し得るように」と。
ところが私が近づくにつれて、五人の修行者の群れは、自分らの約束で制することができなかった。ある者どもは私を出迎えて衣鉢を受け取った。またある者どもは坐を設けた。またある者は洗足の水を用意した。
不思議なものであります。かつて、苦行を共にした五人の修行者は、苦行を捨てたブッダに失望してブッダの元を去ったと言われているのであります。そして、ブッダがやって来ることを聞いたとたん、仲間同士でとりあえず話しを聞くがブッダの言うことは聴かないように、と約束をするのでありますが、いざその場になりますと、先ほどの約束はどこやらに行ってしまい、ブッダの世話をするのであります。
著者曰く「これは、正覚者としてのブツダにそなわった威厳と、釈迦族の高貴な血筋によるものではないでしょうか。しかし、ブッダの世話をしながらも、苦行を捨て、豪奢におもむいたにもかかわらず、どうして特別な知見に達することができましょうや。と問いかけています。ブッダは力強く法(ダンマ)が体得されたことを説得していきます。」
初期仏典「マッジマ・ニカーヤ」には、その様子が以下のとおり記載されています。
修行者らよ。・・・・・・・如来は尊敬されるべき人、正覚者である。修行者ども、耳を傾けよ。不死が得られた。私は教えるであろう。わたくしは法(ダンマ)を説くであろう。汝らは教えられたとおりに行うならば、久しからずして、良家の子らが正しく家から出て出家者となった目的である無上の清浄行の究極を、この世においてみずから知り、証し、会得するに至るであろう。
いったい、何を説いたのかは、次回といたします。
by sinsama2
| 2006-09-17 12:47
| 本