2005.4.23 ブッダの人と思想 10
2005年 04月 23日
大変お久しぶりのブッダシリーズであります。本来でありましたならば、毎週の更新を目指しておりましたが、土日がここのところ忙しくもありまして、やっとこさの更新であります。
今回は「心」の問題であります。初期仏典「ダンマパタ」の冒頭には、いきなり「心」についての言葉が二つ並んでいるとのことであります。
ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によって作りだされる。もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人につき従う。・・・・・・・・・・車をひく牛の足跡に車輪がついていくように。
ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によって作り出される。もしも清らかな心で話したり行ったりすれば、福楽はその人につき従う。・・・・・・・・・影がそのからだから離れないように。
著者「中村元先生」が曰く、この言葉を読むと、ブッダをはじめ、当時の仏弟子たちがいかに心を重視していたがわかる、とのことであります。
全ては心の持ち方、姿勢の問題なんでしょうね~仕事をしておりましても、自分の心がザワザワ、モヤモヤしていたりしますと、大抵ろくなことがありませんです!
次に、「悪をあなどってはならない」との「ダンマバタ」でのブッダの教えであります。
まだ悪の報いが熟していないあいだは、悪人でも幸運に遭うことがある。しかし、悪の報いが熟したときには、悪人はわざわいに遭う。
「その報いはわたしには来ないだろう」と思って、悪を軽んずるな。水が一滴ずつ滴り落ちるならば、水瓶でも満たされるのである。愚かな者は、水を少しづつでも集めるように悪を積むならば、やがて禍いに満たされる。
ここで、中村先生は、「悪をなして心を汚してはなりません。清浄行は、人間の生き方の基本といって良いでしょう。ブッダの最も重要なメッセージであったのであります。」と、記載しております。
要するに、小さな悪い事を積み重ねたり、悪い心で人を罵ったり、影で悪口を言ったりして、積み重ねると、人間は結局自分に降りかかるのでしょう。
立小便もダメですかね~?
今回は「心」の問題であります。初期仏典「ダンマパタ」の冒頭には、いきなり「心」についての言葉が二つ並んでいるとのことであります。
ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によって作りだされる。もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人につき従う。・・・・・・・・・・車をひく牛の足跡に車輪がついていくように。
ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によって作り出される。もしも清らかな心で話したり行ったりすれば、福楽はその人につき従う。・・・・・・・・・影がそのからだから離れないように。
著者「中村元先生」が曰く、この言葉を読むと、ブッダをはじめ、当時の仏弟子たちがいかに心を重視していたがわかる、とのことであります。
全ては心の持ち方、姿勢の問題なんでしょうね~仕事をしておりましても、自分の心がザワザワ、モヤモヤしていたりしますと、大抵ろくなことがありませんです!
次に、「悪をあなどってはならない」との「ダンマバタ」でのブッダの教えであります。
まだ悪の報いが熟していないあいだは、悪人でも幸運に遭うことがある。しかし、悪の報いが熟したときには、悪人はわざわいに遭う。
「その報いはわたしには来ないだろう」と思って、悪を軽んずるな。水が一滴ずつ滴り落ちるならば、水瓶でも満たされるのである。愚かな者は、水を少しづつでも集めるように悪を積むならば、やがて禍いに満たされる。
ここで、中村先生は、「悪をなして心を汚してはなりません。清浄行は、人間の生き方の基本といって良いでしょう。ブッダの最も重要なメッセージであったのであります。」と、記載しております。
要するに、小さな悪い事を積み重ねたり、悪い心で人を罵ったり、影で悪口を言ったりして、積み重ねると、人間は結局自分に降りかかるのでしょう。
立小便もダメですかね~?
by sinsama2
| 2005-04-23 19:16
| 本